
トココトココ・・・
「兄ちゃん、バイクたくさんだね」
「そうだな」
「兄ちゃん、人もたくさんだね」
「そうだな」
「兄ちゃん、建物がおっきいね」
「そうだな」
「兄ちゃん、ここどこ?」
幼い三男もさすがに自分の身に降りかかっている非常事態を察知したようだ。
今日は人気マンガ『ヌルえもん』の最新巻発売日。
三兄弟はお小遣いを集結し、父ちゃんのスクーターで町の本屋に買いに向かう。
しかし長男の超人的な方向音痴が功を奏し自宅から30km離れた大都市サイゴンまで来てしまった。
トココトココ・・・
スクーターは不安そうな音を立てメコン川のような大都会のバイクの流れに身を委ねる。
トココトココ・・プスップッ・・
不穏な音を最後に、エンジンは沈黙した。
そしてそのまま惰性走行でなんとか路肩へ漂着。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「ガソリンなくなっちゃった」
「えーー!どうすんの!」
「心配するな!今から考えるから」
「無駄だよ!だって兄ちゃんバカじゃん!」
「兄ちゃんみたいにバカな方がこういうとき閃くんだよ!・・誰がバカだ!」
兄ちゃん考え中。
「閃いた!兄ちゃん、このお金でガソリンを入れようと思う」
「えー!ヌルえもんは?!」
「今日は諦めよう」
「えー!やだよ!お兄ちゃんやっぱりバカじゃん!」
「うるさい!しょうがないだろ!」
「うるさくない!兄ちゃんが道迷わなければこんなことにならなかったじゃん!」
長男と次男がけんかを始めてしまった。
すると一人の少女が視界に入ってきた。
「いいバイクね。キミの?」
「いや、父ちゃんの」
長男は答える。
蓮の花の刺繍が入ったアオザイがよく似合う少女である。
そのアオザイのせいか都会らしい大人びたいで立ち。
そしてとても懐かしい雰囲気を長男は感じ取っていた。
「どうせ無断で借りてきたんでしょ」
もちろん図星だった。
長男は事情を説明する。
「じゃあ乗せていってくれる?
わたし、ちょうどキミたちの町に用事があるの。
でも悪いけど、今日はヌルえもんは諦めて。
お兄ちゃんのいう通り、そのお金でガソリンを入れなさいね。」
「わかったよぉ。」
少女の言うことはなぜか素直に聞く次男。
スクーターを何とかガソリンスタンドまで引き転がし、三人の全財産をタンクに注ぎ込んだ。
一番小さい三男はステップに身をかがめ、長男がスロットルを握り、次男は長男にくっつくようにシートに跨る。
少女は最後尾に横向きに乗り、荷台のフレームを掴んだ。
そしてシートから押し出された運転手はほぼ空気椅子状態を余儀なくされた。
四人を乗せたスクーターはサイゴンを後にする。
トッコットッコットッコッ
「四人も乗って大丈夫かな?」次男が心配そうにぼやく。
「大丈夫よ。五人までは。」少女がサラッと答える。
「え、何で分かるの?」次男の当然の疑問。
「あ、、え、私同じスクーター乗ってたから。」
「ふーん。」
深く考えることもなく次男は相槌をうつ。
トッコットッコットッコッ
がんばれ、スクーター。
「キミたち、さっきみたいによくケンカするの?」
「そうだよ!だって兄ちゃんバカだから!」
「うるさい!おまえ生意気なんだよ!」
「兄ちゃんはいつもツメが甘いんだよ!」
「お前が行きたいって言ったんじゃないか!」
「兄ちゃんたちケンカしちゃだめだよぉ」不安そうな三男。
「仲良くやってるみたいね」
確かに。
仲が悪かったらコミックを買うためだけに三人揃ってスクーターで出かけたりしない。
しかも父ちゃんに怒られるリスクを背負ってまで。
サイゴンを離れ、ようやく人が住めそうな景色になってきた。
「ここまでこれば帰れそうだ。今日は本当に助かったよ、ありがとう。」
「どういたしまして。」
「どこまで送ればいい?」
「じゃあ、もう少し先まで。それとね、」
「え、何?」
「弟たちをよろしくね。」
「え、どういうこと?」
「あ、父ちゃん!!」
長男と少女の会話を遮るように三男が叫んだ。
三男は前方に自転車でこちらに向かってくる父ちゃんを発見したのだ。
父ちゃんは家にスクーターがないことに気づいて、バカ息子たちを探しに来たようだ。
現行犯で言い逃れようがない長男は観念して父ちゃんの自転車の横にスクーターをつける。
ドン!
長男にはヘルメット越しに本気のゲンコツ。
ゴン!
次男にはヘルメット越しに少し軽めのゲンコツ。
コン
三男にはヘルメット越しにデコピン。
父ちゃんは指をさすっている。指の方が痛かったようだ。
「ごめんなさーい」
三人は声を合わせた。
「で、どこに行ってたんだ!」
「サイゴン」
「え、サイゴン?!!」
「うん、この子が案内してくれたの」
「ん?この子ってどの子だ?」
「この・・」
次男は振り返るが後ろには誰もいない。
「あれ?蓮のアオザイの女の子がさっきまで・・」
「まあいいか。そういえば母さんも若い頃、蓮の花のアオザイ着てたなー。懐かしいなー。
このスクーターも元々は母さんが乗ってたんだ。大切にしろよ、形見なんだから。」
父ちゃんは手早く説教を済ませた。
「それよりこれ。」
カバンから包み取り出す。
「わー!ヌルえもんの最新巻!」次男と三男が飛びつく。
「あとで兄ちゃんにも読ませろよ。父ちゃん、ありがとう!」
「今日が発売日だってお前たちうるさかったからな。」
得意げな父ちゃん。
「・・・」
次男と三男の表情が消えている。
「父ちゃん!これ『ヌルえもん』じゃなくて『ズルえもん』!」
長男のツメの甘さは父譲りであることを次男と三男は覚った。
道端の沼には蓮の花がきれいに咲いている。