いろいろ学ぶことが多すぎた16年間。忘れないためにも文字にしました!

家族グールバナー-01
どうやらオレは重度のマザコンらしい。

棺の窓からお母さんの顔を見下ろし、そんなことを考えてた。
どうにも寝付けない通夜。
実家の本堂に組まれた祭壇の前、お母さんは静かに眠っている。
子供の頃、お母さんと一緒に寝ていて、急に笑い出したり寝言言ったり、気持ち悪かったが、さすがにもうその心配はなさそうだ。
うちは小さな寺だが、本堂広く寒い。
二人の姉とオレの三人はストーブ3台に囲まれてようやく寒さをしのぐ。
少し眠気で頭がぼーっとしてきたので、オレはお母さんの枕元から離れて寝袋へ戻ることにした。
明日は葬儀でまた大変だろうし。

こうして姉弟三人で川の字で寝るのは16年ぶりだ。

—–16年前、加藤家は一番楽しく明るい時代だった。当時オレは23歳。
でもよく考えたら厄年。

二人の姉は嫁に出て、それぞれに娘ができて、両親はデレデレだった。
お母さんは孫と一緒に出掛けては写真をたくさん撮ってくる。
父はおもちゃばかり買ってくる。
実家に帰ると写真とおもちゃだらけだ。

そんな加藤家に突然災難が訪れたのは8月の終わりだったか。
9.11テロの少し前だった記憶がある。
当時、実家住まいだったオレが仕事から帰ると、洋間からお母さんの名を叫ぶ父の声が聞こえた。
ドアを開けると、ソファーにお母さんが白目をむいて泡をふいて横たわっていた。
間もなく救急車がお母さんを連れて行った。

くも膜下出血というやつらしく、先生の言うには日常生活が送れるようになる確率が三分の一、死ぬ確率が三分の一、そして一命をとりとめても障害が残る確率が三分の一。
残された家族4人はとにかく死なないことだけを願っていた。

お母さんがいなくなるかもしれない、という不安と恐怖で胸を締め付けられた姉弟三人は、その夜実家で一緒に寝ることにした。

それ以来である。こうして姉弟三人で川の字で寝るのは。
しかし、あの時のような内臓をえぐられるような不安や恐怖は全く無く、三人で夜中までお母さんの思い出話に花を咲かせた。
よく考えたら、オレは今年またしても前厄だ。

8時間にも及ぶ手術の末、お母さんは一命をとりとめた。
脳をいじったせいか、意識はもうろうとしていたが、家族は一番幸せな三分の一に入ったと、勝手に解釈していた。
人間ってのは、不都合な未来にはフタをしたがるものらしい・・・

その後数年間は比較的意識もしっかりしていて、意欲的にリハビリに取り組み、麻痺した左半身をかばいながら何とか杖をついて歩いていた。

しかし、人格は一変していた。
言動が全く的を得ない。
いつも凛として、優しく、明るいお母さんはあの日に死んでしまったのか。

そして10年くらい前から徐々に体も動かなくなっていく。
結局お母さんは三つの分岐のうち、一番残酷な道を歩むことになったようだ。
父の老々介護の始まり。

身の回りのことを全てお母さんにやらせていた父に介護なんてできるわけもなく、実家に帰ると思い通りにならないお母さんに対する父の怒声がいつも飛び交っていた。
オレはそれを聞くのがすごくイヤだった。
オレ自身、変わってしまったお母さんを受け入れられず、怒鳴ることも多かった。
そのたびにどうしようもない自己嫌悪に襲われる。

肉体的にも人格的にも人間らしさを失っていくお母さんを見るのが怖かった。
玄関まで積みあがった紙おむつ、排泄物と消臭剤の混ざった臭い、実家に帰るのがものすごく憂鬱だった、というか恐怖だった。
倒れたときは、生きてさえいてくれればいいと思っていたのに。
人間ってのは、勝手なもんだ。

明日へつづく

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第1話 通夜
第2話 父とオレ
第3話 お母さんとオレ
第4話 お母さんと父
第5話 家族グール